【夜葬】 病の章 -78-
「葛城さん。どんぶりさんの前ですよ、静かにしてください」
葛城の吃驚とは対照的に、冷え冷えとした態度で敬介が言った。
葬式ではしゃぐ子供を叱る親のような、ある種の毅然さを醸し出している。
一方、暗い室内で葛城が腰を抜かした理由がわからないクルーたちは一様に顔を見合わせた。
「葛城さん? どうかしたんですか、そんな大声なんかだして……」
河中が葛城に近寄り、声をかけた。
葛城は敬介の諫め言が耳に入っていないかのように、情けない声を漏らしては眉間を皺でくしゃくしゃにしていた。
「葛城さん……?」
その表情は酷いものだった。
八の字に下がった眉、見開いた瞳、痙攣しているように引き攣る唇、だらしなく開いた口、それらがひとつにまとまり苦悶にも似た恐慌の表情を作っている。
河中はもちろんのこと、他の面々からしても葛城のこんなみっともない顔は初めて見た。
そうなれば当然、気になるのは葛城が恐れているものだ。
河中は葛城から離れ、杉山の亡骸に近づきその顔を覗き込んだ。
「うわああああああっ!」
それを認めた途端、河中は膝をついたまま尻を杉山に向けるとふすまへ逃れようとした。
だが彼も腰を抜かしているのか、進もうとしたところでべしゃりと潰れ、匍匐前進のような体勢になった。
「町の葬儀ではみんなこうして騒がしくするのですか? でしたら、ここでは違うのでどうかお静かにお願いいたします」
敬介が呆れたような、怒っているような、極端に冷めた様子でつぶやいた。
杉山の変わり果てた姿を前に、たまらず4人は逃げ出した。
その背中を掻くように、敬介の「やれやれ……」という呆れ声が廊下に転がった。
「す、杉山が……!」
脱兎のごとく、館から飛び出した4人は遮二無二走った。
灯りも持たず、暗闇の村を走りまわる彼らは自分がどこを走っているのかなどまるでわからない。ただ、この村から一刻も早く逃げ出したかった。
でないと、自分たちも杉山のように顔をどんぶりに――。
「だ、だから、『“どんぶり”さん』……?」
田中がつぶやくと、その意味を解した村井がたまらず嘔吐した。
伝染するように続いて河中も、足元に吐瀉物をぶちまける。
「なにやってんだお前ら! お、俺はひとりでも逃げるぞ! こんな村に一秒でもいられるか!」
葛城は走るのをやめなかった。3人と遠ざかっていくのも闇のせいでわからない。
だが彼自身が言った通り、葛城はひとりでもこの村から逃げ出すつもりだった。
――しかしどうやってこの村から出ればいい?
村から脱出することは決まっている。なにがどうなろうと、それだけは優先するつもりだ。だが、なりふり構わずに遭難してしまうのは極力避けたかった。
酸素が薄くなる頭を必死に回転させ、葛城は思いついた。
「そうだ、あいつだ! 宇賀神!」
村についてから姿の見えない宇賀神。元々ここまで辿り着けたのは宇賀神の案内があってこそのものだ。
ならば帰りも宇賀神に案内させればいい。
他のクルーのことなど構うものか、とにかくすぐここから出たい。
葛城の脳裏にどんぶりさんに成り果てた杉山の姿が浮かぶ。あれを見た以上、自分もきっと同じ目に遭わされるのだ。葛城は確信を持っていた。
「たまらん、たまらんなぁ」
奇跡のようなタイミングで、聞き覚えのある声が聞こえた。
あれこそ宇賀神の声だ。
葛城は肩で息をしながら立ち止まると、キョロキョロと周囲を見回した。
暗闇にうっすらと輪郭を落とす家々。いくら静かな山の村だからといって、人の声が聞こえるほどの近さだ、距離感から葛城は一番近い家へと向かった。
「これはたまらん、たまらんぞ。もっとくれ、もっと」
足音を殺し、縁の下に滑り込むように隠れた。葛城は荒い呼吸を抑えながら中の様子を窺う。
「いやあ、やっぱりこの村に戻ってよかった。こんなに美味いものがあるなら、ずっと住んだっていい」
くちゃくちゃ、とみっともない咀嚼音と共に宇賀神の声が漏れてくる。
呑気に酒盛りでもしていやがるのか、と葛城は腹が立った。湧き上がる怒りで声をあげそうになったが、自らの口を手で塞ぐ。
縁から顔を出すと、締め切られた納戸から灯りが漏れている箇所があるのに気づいた。
隙間が空いているらしい。
しめた、とばかりに宇賀神は納戸の隙間まで近づくとおもむろに中を覗き込んだ。
案の定、宇賀神は住民2人と盛り上がっている。徳利がひざ元にあることからやはり酒盛りだと思われた。
――あの野郎、杉山が顔面を抉られてえらい目に遭ってる時に!
すぐにでも怒鳴り込んでやろうと思ったが、村人に目を付けられるのは怖い。宇賀神がひとりになるのを待ったほうがいい。例えば、便所の時……など。
そう算段を立てつつ、覗き込んでいた葛城だがふと違和感を覚えた。
宇賀神の口元がやけに赤い。それになにかを掴んでいる手も真っ赤だ。
――なにを食ってやがる……?
目を凝らす。よく見れば、同席している村人もまた同じものを食しているようだ。手も口も赤い。
むしゃ、くっちゃくっちゃ
美味そうに大口を開け、宇賀神はそれに食らいつく。口を閉じずに咀嚼しているため不快な音が耳に障った。
手元にある赤い物体。それは……。
「やっぱり若いやつの血で作った赩飯はええのう、美味いわい」
「いやあ、本当だ! 街にだってこんなに美味いものはないぞ」
むしゃ、くっちゃくっちゃ
全身の毛が逆立つ。ぷつぷつと鳥肌が沸く。息が止まる。
葛城は気づいてしまった。
宇賀神らが食っているそれの正体を。
「なんてことだ……あれは、杉山の顔に盛られた……」
杉山の顔の血を混ぜ込んだ、にぎり飯。
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